▼素堂 九月刊、戸田茂睡編『不求梨本隠家勧進百首』入集。
すむ庵を世の人のかくれ家といふきゝて
人しれぬ身にますれはをのつから
もとむともなきかくれかにして 法し 茂睡
いりかある言葉の花の世にもれは
身のかくれかのかひやなからむ信章 素堂
隠家もとなりありとは言の葉の
道をわけたる人にしられて 幽山 高野
けふはまつよろつの民の言の葉に
治る御代の春をしるかな 清水 宗川
貝ひろふ蜑の子あまた数見えて
霞む海邊の春の朝なき 原 安適
【茂睡】寛永六年(1620)生、~宝永三年(1706)歿。
年七十八才。
戸田氏。通称茂右衛門、後に茂睡。渡辺監物忠(三河国戸田家から旗本渡辺山城守茂の養子となる)の子として駿府城内に生まれる。 父は主君徳川忠長の改易の事に坐して下野国黒羽に蟄居、茂睡も二十才まで同地で過ごした。
その後江戸の伯父戸田政次の養子となり、明暦元年~寛文十二年(一説には天和三年~宝永元年)の間、本多侯に仕官した。しかし本多侯の国政改革に際して浪人となり、晩年は遁世して浅草金龍山などに住んだ。祖父・父とも和歌連歌を嗜む名門で、環境に恵まれた。実作より歌学面に見るべき点があり、古今伝授や制詞を重んじる因襲的の堂上歌学に痛烈な批判を加えた。
著作書 『梨本集』『百人一首雑談』『僻言調』『鳥の迹』『紫の一本』『梨本書』『御当代記』など。