素堂 十月九日、《素堂菊園之遊》
重陽の宴を神無月のけふにまうけ侍る事は、その比は花いまだめぐみもやらず、菊花ひらく時則重陽といへるこゝろにより、かつは展重陽のためしなきにしもあらねば、なを秋菊を詠じて、人々をすゝめられける事になりぬ。
菊の香や庭に切たる履の底 芭蕉
柚の色や起きあがりたる菊の露 其角
菊の気味ふかき境や藪の中 桃隣
八専の雨やあつまる菊の露 沾圃
何魚のかざしに置ん菊の枝 曾良
菊畠客も圓座をにじりけり 馬
紫桑の隠士無絃の琴を翫しをおもふに、菊の輪の大な らん事をむさぼり、造化もうばふに及ばし。
今その菊をまなびて、をのずからなるを愛すといへ共 家に菊ありて琴なし。かけたるにあらずやとて、人見竹洞老人、素琴を送られしより、是を夕にし是を朝に して、あるは声なきに聴き、あるは風にしらべあはせて、自ほこりぬ。
うるしせぬ琴や作らぬ菊の友 素堂
▽素堂 「素堂亭残菊の宴」素堂・芭蕉・沾圃三物
漆せぬ琴や作るらぬ菊の友 素堂
葱の笛ふく秋風の蘭 芭蕉
鮎よはく籠の目潜る水落て 沾圃
〔俳諧余話〕
甲斐の身延に詣ける時、宇都の山邊にかゝりて
年よりて牛に乗りけり蔦の路 木節
(『続虚栗』所収句)
▼芭蕉 十月九日付、許六宛書簡文中、(抜粋)
素堂菊園に遊びて
菊の香や庭にきれたる沓の底
▼芭蕉 十一月八日付、荊口宛書簡文中、(抜粋)
素堂菊園之遊
菊の香や庭に切たる沓の底
【註】素堂、「漆せぬ」の句について
柴桑の隠士、陶淵明のこと、薄陽縣の柴桑に隠棲したことによ、この名がある。無弦の琴云々、淵明が琴を愛して、酒間にこれを撫して「但識琴中趣何勞弦上音」と和したといふ故事。造化、自然・人見竹洞老人、儒士、林明春(?)の門人。素琴、素木の琴。淵明が無弦の琴を翫んだことを考へると菊も強ち大輪を欲して自然を矯める必要もあるまい。自分も淵明に學んで、その自然な姿を愛するとは云へ、我が家には菊はあつても琴がないの琴が無いので、それでは淵明の愛した二物の一が欠けてゐるではないか、と云うことで、竹洞老人が素木の琴を贈ってきれたといふのが前書意である。「琴や作らぬ」とは反語である。淵明の故事を體して、うるしせぬ琴、即ち素木の琴を贈ってくれた竹洞老人をたゝへたのである。「菊の友」は竹洞老人を指したのであって、両者の高雅な風交を象徴した言葉であり、同時にこれに依って菊の句となっている。芭蕉の句「月の友」と同例である。素堂や芭蕉を通じて見ることのできる、時代的な一の理想である隠士風の感懐である。
(芭蕉七部集『俳句鑑賞』川島つゆ著)