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北杜市の偉人 浅川巧 年譜 著者手塚洋一氏

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浅川巧 年譜

明治24・1
十五日山梨県北巨摩郡甲村(現高板町)五町田に生まれた。父亡浅川如作・母けい。父は前年七月、三十一歳で亡くなった。
  30・4
村山酉尋常小学校に入学した。
  34・1
祖父小尾四友が死んだ。
  34・4
秋田尋常高等小学校に入学した。
  39・4
山梨県立農林学校に入学した。甲府市外池田村に兄伯教と家を借り自炊生活に入る。
42・4
農林学校を卒業し、秋田県大館営林署小林区署に就職。8月日韓併合。
大正2・5
兄伯教が朝鮮に渡った。
  3・5
十七日、巧が朝鮮に渡り、京城府(現ソウル)独立門通り三の六に居を定め
た。のち、阿峴洞へ引っ越した。
  3・7
朝鮮総監府農商工部山林課に雇員として就職、朝鮮産主要樹木並びに輪移入樹種の着荷試験に従事した。
大正3・9
兄伯教が千葉県我孫子に柳宗悦を訪ねた。
  5・2
親友浅川政歳の姉「みつえ」と結婚。
  5・9
朝鮮を訪ねた柳宗悦と知り合った。
  6・3
長女園絵が生まれた。 
8・3
 三・一独立運動おこる。
  9・4
朝鮮総監府農商工部山林課は、殖産局山林課となり、浅川巧は技手となっ
た。林業試験所が阿峴里から清涼里に移り、浅川巧は同所新築官舎に移る。
9・5
 柳宗悦が京城に来て巧の所蔵する李朝の大壷を見て感動し朝鮮民族美術館の設立を発願、巧も全面的に協力。
  10・1
柳宗悦が「白樺」一月号に「朝鮮民族美術館の設立について」を発表。
  10・9
二十九日、妻みつえが山梨県病院で死去。三十歳。
  11・1
柳宗悦と冠岳山の窯跡を調査した。
    ・8
林業試験場が設置された。
    ・9
柳宗悦・兄伯教・赤羽王郎・小田内通敏・今和次郎らと分院の窯跡を調査
    ・10
富本憲吉が浅川巧宅に滞在した。
  13・1
柳宗悦と甲府に小宮山清三を訪ね、木喰仏を発見した。
    ・4
九日、朝鮮民族美術館が京城景福宮内緝敬堂に開館した。
    ・12
翌年一月にかけて、鶏龍山・唐津などの窯跡を兄伯教・小森忍・中尾万三らとともに調査した。
  14・10
京都の大北咲子と再婚。咲子は河井寛次郎の妻やすのいとこである。
  15・11
二十七日、妻咲子との間に二女が生まれたがすぐに死亡した。
昭和 2・4
兄伯教と共に分院窯跡を調査した。
   3・7
このころ朝鮮趣味を語る会、京城に誕生。のちの朝鮮工芸会である。安倍能成・上野直昭・速水渓・浜口良光・土井浜一・高橋保清・渡辺久吉・蜂谷善次郎らが参加した。
   4・3
『朝鮮の膳』出版。
   4・11
倉橋藤治郎らと釜山の窯跡を調査した。
   6・1
『朝鮮陶磁名考』を書いた。
   6・2
三月にかけて林業指導のため、慶尚南道、忠清北道などに長期出張した。
   6・3
二十七日病気臥床。
   6・4
一日、危篤に陥った。二日、午後五時三十七分に急性肺炎で死去。
告別式を四日、京城清涼里林業試験場構内で行なった。里門里の朝鮮人墓地に葬られた。
四月二十四日から五月六日にかけて五回にわたり、安倍能成が「浅川巧さんを惜しむ」を『京城日報』に発表した。
   7・4
十六日、朝鮮工芸会主催により「洩川巧氏一周年記念講演会」が、京城メソジスト教会で開かれた。講師は、柳宗悦・安倍能成・洩川伯教であった。
   7・9
安倍能成が「浅川巧さんを惜しむ」「洩川君の『朝鮮陶磁名考』」などを収録した『青丘雑記』を出版した。
昭和9・4
『工芸』四〇号が「洩川巧追悼号」として刊行された。
9・7
岩波書店刊、中等学校「国語六」に安倍能成の「浅川巧さんを惜しむ」が二分の一に縮められて「人間の価値」と題して収録された。
11・10
東京目黒区駒場に日本民芸館開館。柳宗悦館長となる。
  17・7
浅川巧の墓が里門里から忘憂里に移葬された。
20・12
十五日、敗戦、朝鮮独立。浅川伯教、朝鮮民族美術館整理のため京城にとどまる。
  20・12
洩川咲子・浅川園絵の母子、日本に引き揚げる。
  21・11
浅川伯教、日本に引き揚げる。
  30・11
在日韓国基督教育年会、祖国解放十周年を記念して「愛と誠実を朝鮮に捧げた日本人に感謝する集い」を開催。浅川咲子が巧の代理として招待された。
  36・5
柳宗悦、死去。
  39・1
十四日、浅川伯教、濃胸にて死去。
  39・3
月刊『民芸』三月号、洩川伯教追悼号として特集する。
  39・6
二十日、加藤松林人が京城忘憂里に浅川巧の墓を訪ね、林業試験場の職員と共に修復葬を営む。
  41・6
韓国林業試験場職員高の名によって、「浅川巧功徳之碑」が浅川巧の墓の脇に建てられる。
  51・10
十九日、浅川咲子死去する。八十二歳。
 
  51・11
十三日、浅川園絵死去する。五十九歳。
  52・3
山梨県北巨摩郡高根町五町田、浅川家の墓地に浅川巧らの墓碑完成する。
平成3・3
二十五日、山梨県北巨摩郡高根町五町田農村公園内(生家の北方)に「浅川伯教・巧生誕之地」の碑が同町教育委員会によって建てられる。    
 

参考文献

『朝鮮の土となった日本人-浅川巧の生涯』高崎宗司書 草風館(1982
「浅川巧を廻る人々」山村正光『山梨県キリスト教史研究』第一集(1984
『木履の人-韓国の土になった甲州人』中村高志山梨日日新聞社(1987
『郷土史に輝く人々』第17集「浅川伯教」赤岡武
『青丘雑記』安倍能成著 岩波書店刊
『朝鮮の膳』浅川巧著作集 八潮書店
『朝鮮陶磁名考』浅川巧著作集 八潮書店
『小品集』浅川巧著作集 八潮書店
『民芸の趣旨』柳宗悦著 日本民芸館発行
『明治の墓標』有泉貞夫著 山梨郷土研究会発行
『朝鮮半島の林野荒廃の原因』-自然環境保全と森林の歴史-
三宅正久著 農林出版株式会社(一九七六)

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