Quantcast
Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

甲斐駒ヶ岳開山の疑義 鳳凰山 甲斐国志

$
0
0
イメージ 1


甲斐駒ヶ岳開山の疑義 鳳凰山 甲斐国志


 文化十一年(1814)刊の甲斐国志「鳳凰山」の項に、山岳信仰について記述が見える。甲斐駒ヶ岳開山とされる二年前の事である。甲斐駒ヶ岳にも既に駒形権現があり、こうした事象からは甲斐駒もすでに開山されていたとする説も成り立つ。


〔鳳凰山〕駒カ岳ノ東南ニ在リテ、芦倉山ノ北梢々西ニ在リ、東面ヲ御座石山卜称ス、西ハ能呂川ヲ隔テテ白峰ニ対ス、絶頂ニ高数丈ノ立巌アリ、遠ク望メバ人物ノ状ノ如シ、州人多クハ誤認メテ是ヲ地蔵カ岳ナリト云ハ非也鳳凰山権現ノ石祠アリ、祭日ハ九月九日ナリ、神主小池氏柳沢村ニ住シ、此山柳沢ヨリ西南ニ当レリ、村ヨリ一里ニシテ雄山社ニ至リ、又武里ニシテ精進瀑ニ至ル、此ヨリ峻嶺ヲ攣ヅル事又一里ニシテ絶頂ナリ、其絶頂ニ詣ラント欲スル者ハ必ズ八九月ヲ以テ候トス、必ズ此ノ瀑ニ沐浴シテ、然後始テル登ル者トシ、尤不浄穢火ヲ禁ズ、又六七月ノ間ニ登ル者アルハ、疾風暴雨シテ寒気早ク至リ、秋稼ニ大害アリト云、一説ニ絶頂ノ祠中ニ掛鐘アリ、往時盗アリテ之ヲ竊去ラントヤシニ、同前ノ厳間忽窄マリテ、行事能ハス、畏レテ立帰リ鏡ヲ舎ケバ路復開テ始ノ如クナリシト云、是ヨリ東南ノ方ニ対峠スルヲ地蔵ケ岳卜云相拒ル事一里弱、山背少シク低シ、其次ヲ観音ガ岳卜云、地蔵カ岳ヨリ此ニ至ル、亦一里ニ近シ、皆東南ニ連リタル一脈ノ山ナリ、其仏名ヲ以テ山ノ分名トセルハ各処ニ小石仏ヲ置ケルガ故ナリ、土人地蔵、観音、薬師ノアル所ヲ三岳卜云、又薬師カ岳ヲ或乗鞍カ岳トモ呼ブ、乗鞍カ岳ヲ南へ下レバ砂払卜云処アリ、此ヨリ芦倉村へ五里許、南々東ニ当ル御室、焼山、堀切、杖立、苅合、清水等阪路特ニ峻悪ナリ、凡ソ此山絶頂二里許ノ間、砂自クシテ海浜ノ景色アリ奇石、怪巌、樹、□?草、一々名状シ難シ、又此山ノ面ニ春三月頃ヨリ雪消エ残リタル雪、自然ニ牛ノ形ヲ作ス処アリ、土人望テ農候トシ農牛卜称ス。


〔駒カ嶽〕 


横手、台ガ原、白須、諸村ノ西ニ在リ、樵蘇スル者山祖干ヲ貢ス、山上ヲ甲信ノ界トス、大武川ニ沿イテ南方山中ニ入ル事若干里ニシテ、石堂二所アリ、下ヲ「勘五郎ノ石小屋」卜呼ヒ、上ヲ「二條ノ石小屋」卜呼フ、此ヨリ上ハ絶壁数拾丈ニシテ、攣援スべカラス、樵夫山伐ノ者卜雖モ至ラサル所ナリ、遠ク望メハ「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現」ヲ安置セル所アリ。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 3088

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>