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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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七覚山円楽寺(右左口村)甲府市中道

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七覚山円楽寺(右左口村)
(甲斐国志 巻之八十 仏寺部第八)一部加筆
 
真言宗新義檀林七ケ寺ノ一、「金剛智院善勝坊」卜称ス。城州醍醐山報恩院ノ末寺ナリ、御朱印寺領、二十九石五斗余、境内一万二千六十二坪、山林アリ、相伝フ文武天皇ノ御宇、役ノ小角ノ草創、太宝元年卓錫シテ初メテ不尽(富士)登山ノ道ヲ啓(ヒラ)クト云フ(富士ノ北麓ニ所祀役ノ行者堂至今円楽寺ヨリ進退ノ堂領ノ山方八町アリ)本堂(四間六間)本尊ハ薬師の立像(運慶作卜云)日光月光十二神、客殿(十四間八間)本尊ハ正観音、庫裏(十三間六間)
◆鐘楼・総門(庭前ニ桜樹周囲一丈五尺、銀杏一丈八尺各一株、又山中ニ樫樹多シ、生産ノ部ニ出ス)
◆王子権現ノ社(西南二町金山ノ下ニ有リ)権現山ノ方二十町許リナリ
◆護摩堂ノ跡(権現承ノ東ニ土壇存ス)
◆五拳権現ノ社(祭所如例王子権現ノ南山上一町ニ在リ)
◆役ノ行者(エンノギョウジャ)堂(行者ノ像、老母ノ像、前鬼後鬼皆ナ行者ノ自刻卜云、毎歳三月七日会式、毎月六日晩ヨリ護摩修行州人群集)
◆六角堂(行者堂ノ北ニ在リ、回国修行ノ者納経所ナリ、納経ノ式慶長三年ノ記アリ、堂内ニ回国者元祖頼朝坊ノ石塔婆ヲ安ス、頼朝ノ事稗説アリ、                今略シテ不記)
◆鐘楼古跡(天明三年(1783)九月此ノ土中ヨリ、鐘ノ欠ヲ塹出セシト云、按ニ『王代記』永正十三年(1516)九月十八日、合戦駿河勢出ズ、国中悉ク焼云々、七覚焼亡卜見ユ、此所ハ中道トテ、駿州ノ往還ニ係ル自古兵革ノ為メニ被侵掠破コトモ数々ナルべシ)
◆五重塔鐘(本堂前ニアリ)
◆駒形観音堂(行者堂ノ又山上に有リ)
◆児子私(峰頭ニ在ル老松ヲ斥テ名ケ呼ベリ)廃平塩寺ノ過去帳ニ所載、明徳丸・亀王丸二人児子ノ事云々、説アリ今之略)
◆塔頭ノ三刹朝、持明院(今存)大智院(今亡)宝歳院(今存)外三十二坊ノ古跡アリ、本山先達修験松雪院(今和田平町ニ居住)
◆五社権現ノ祠祝相川日向(二人御朱印ノ内五石宛配分ス)寺
◆寺領民戸屋敷三十二、今本寺口十三(僧四人下男九人)民戸ニ十ニ口、本村ニ属ス、末寺十二、
◆寺宝ニ役行者ノ偽札アリ鈴、五鈷、三鈷、独鈷、四撅、門表等ハ、信玄ノ寄スル所ナリ、
◆不動尊一躯(古へハ護摩堂ノ本尊)
◆追猿不動(土橋大内蔵者ノ寄附)
◆古筆仏画等多シ、
◆大般若経(紺紙金泥一巻、弘法ノ書卜云、貞和中()書写全部、諏訪ノ人千野靱負ノ寄附)
◆永禄二年(1559)九月、信玄ノ朱印一通、天正十一年卯月二十六日
◆神祖(徳川家康)ノ御朱印二十貫五百文ノ高ナリ、
◆天正十一年(1583)二月七日、寺領改帳(飯窒越前・秋山下野)
◆天正十七年(1589)伊那熊蔵、寺領ノ証文(一通)
◆天正二十年(1592)二月十日加藤遠江守ノ禁制
◆文禄三年(1594)浅野右近大夫太輔忠吉寺領ノ証文、
◆慶長六年(1601)四奉行ノ印書並ニ書簡(各一通)
◆十二月十日(年号ナシ)鳥居土佐守成次ノ書簡(一通)
◆寛永十九年(1642)以来ノ御朱印ヲ蔵ム、御年賀拝礼ヲ勤ム
◆年中行事、正月三日孔雀明王法、七日行者講、八日大仁王会(僧十二人仁王般若経購読)二月八日薬師護摩供、
藤切り
◇四月十五日五社権現祭礼(神輿行幸別当祝部山伏数十人供奉シ、役ノ行者富士入峰ノ粧ナリ、真木トテ、長二丈八尺ノ柱ヲ建テ、柴ヲ附ケ藤ニテ二十八所結ビ、先達修験ノ一人、攀上リ、寺宝ノ『百足丸』卜云太刀ヲ以テ備エ、『七覚ノ真木伐』トテ州人為群集ナリ)
◆五月朔日大般若経転読修行、十一月二十六日夜待、
◆『回国雑記』(文明一九年(1487)、聖護院道興准后本州入輿ノ紀行ナリ)
 
七覚山といへる霊地に登山す衆徒山伏両度歴々とすめる所なり、暁更にいたるまで管弦酒宴輿をつくし侍りき宿坊の花やうやう咲き染めけるを見て
 
つぼみ枝の花もをりしるこの山に 七つの悟り開きてしかな
【参考】道興 - Wikipedia 聖護院道興 『廻国雑記』
関白近衛房嗣(在職 1445 - 1447年)の子。兄弟に近衛教基、近衛政家。1465年(寛正6年)に准三宮宣下を受ける。
幼少の頃から出家し、聖護院門跡となる。その後、園城寺の長吏、熊野三山、新熊野社の検校も兼ねた後に大僧正に任じられ、准后となった後は「道興准后」と称されるようになった。
 
1486年(文明18年)から翌1487年(文明19年)には聖護院末寺の掌握を目的に東国を廻国。14866月に京都を発つと、若狭国から越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国の北国を経て、下総国、上総国、安房国、相模国の関東を廻り、14875月には武蔵国から甲斐国を廻り、奥州まで至っている。道興は後に東国廻国を紀行文『廻国雑記』として著している。

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