川路柳虹(1878~1965)本名誠。
東京に生まれた。父は英学者寛堂、明治の元勲川跡聖謨の孫にあたる。はじめ絵画を志し、京都の美術工芸学校に学んだが、沢村胡夷と知り「文庫」に詩を投じた。その後上京して東京美術学校日本画科を卒業したが、これより酔茗の「詩人」の同人となり、明治四十年九月、同誌に、わが国口語自由詩の第一作「塵塚」その他を発表して注目を浴び、明治四十三年処女詩集『路傍の花』を出した。この詩集の大半は口語体自由詩である。大正 三年に『かなたの空』を刊行、同時に露風を中心とする季刊「未来」に加わり、西条八十、柳沢健、山宮允マコトらと交わった。
その後『勝利』『曙の声』、小曲集『はつ恋』『芦の笛』ついで『預言』『海室の花』『海の微風』『歩む人』など多くの詩集を刊行して、大正詩壇の中枢「詩話会」の中心的存在となった。
また一方曙光詩社を起こして季刊「伴奏」、詩誌「現代詩 歌」「炬火」「詩作」等を刊行して後進を導き、その門から平 戸廉吉、萩原恭次郎、村野四郎らを出した。昭和二年の外遊以後は、多く詩論、美術評論をかき、昭和十年『詩学』を出し、オーソドックスの詩論とともに、独自の新詩形「新律格」 を掟唱したが、昭和二十二年詩集『無為の設計』を出し、昭 和三十二年長篇詩集『汲』を出して芸術院賞を受賞した。
ここにあげた作品は『預言』と『無為の設計』中より抄出したものだが、この作品にかぎらず柳虹の詩を特徴づけるものは、近代的な明晰メイセキな理知によって構築された象徴的世界であって、その知性は或る時痛烈な諷刺とイロニーとなって現われるが、或る時は深い形而上学的世界を呈示する。野口米次郎と共に、わが国の生んだ代表的な思想詩人といえる。死後遺稿詩集『石』が刊行された。
川路柳虹 預言
Ccst Dieu mame que je demande et que je cherche
――pascal――
今日、庭の夾竹桃は枯れて
血の滴のやうな花は朽ちはてた。
青い芝草のうへを這ふ蟻も
力なげにまばらだ。
日ざし弱い秋が
清爽な夕ぐれを私におくる、
燃えた心を沈める「智慧」のやうに
ふかい瞳にもの思ふ尼のやうに
瞑想が私をみちびく。
ひらいた本のうへには
哲人の言葉が澄む、
おおパスカアル、
あなたの蒼空のやうな瞳が
このしづかな燈の室にかがやく。
神はどこにある、
神は遍在する、いな、一つの神は
ただ祈祷イノリのなかにある。
私は教へられた神を疑ふ、
しかしもとめる願望のなかに
神はある、
神は熱だ、預言はその焔だ。
パスカアル、
このあわただしい世界に
血と鉄火と腐肉のなかに
私たちは何を頼む。
ああ正しい願望よ、
今日ケフを善くするために
明口をより善くするために
この静かな夜のなかにも
私の心は聖壇の燭のごとく
闇にふるへて燃え立つ。
霊タマシイの澄む秋、
月いでて庭に蟋蟀コオロギもなきはじめ、
無心の童子
私の心を採つて
見える世界のうへに
見えぬ世界の言葉をおく。