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河井酔茗 かさいすいめい(1874~1965)

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河井酔茗 かさいすいめい(18741965
『日本文学全集』全29巻 
監修 谷崎潤一郎 武者小路実篤 志賀直哉 川端康成 一部加筆
 
本名又平。大阪府堺市に生まれ、少年の頃から文学を好み、十七歳の時山田美沙に認められ、「花散る弱法師」「鐘の音」を「青年唱歌集」に採録された。その後出京して「文庫」記者となり詩の選評を担当して、鉄幹、清白を知った。明治三十四年処女詩集『無弦弓』を刊行し、三十八年「女子文壇」を編集、さらに四十年「詩人」を発刊した。
 酔茗は明治四十三年「文京」が終刊するまで約十三年間、その詩欄を担当し、そこから横瀬夜雨、高本赤彦、水野葉舟、溝口白羊、窪田空穂、小牧暮潮、北原白秋、三本露風、沢村川夷、服部吝香、有本芳水、川路柳虹、森川葵村、人見東明ら多くの詩人を輩出せしめた。また詩誌「詩人」は、夜雨、胡夷、白羊、暮潮、嘉香、葵村、柳虹らを糾合して刊行したものだが、ここから口語自由詩革新の第一作が、柳虹によって発せられたのである。酔茗はその生涯を通じて後進の育成に力を尽したが、日本詩史の上にその功績は大きく、じつに詩界の母と呼ばれるにふさわしい。しかし酔茗は詩人としても稀有な詩才の持ち主であった。上記の詩集のほかに『塔影』(明示三十八年)『霧』(明治四十三年)『紫羅欄花』(昭和七年)『真竹本』(昭和十八年)などによって示される詩風は、一貫して「淡々として常に若く、昂らず誇らず、自由に時世とともに移りゆく聡明と無停滞」(白秋)と評されるように、明治、大正、昭和の三代にわたり、あらゆる特異の変遷、起伏を超えて、彼の詩は、つねに新鮮で誠実な知性の輝やきを失うことがなかった。ここにあげた「翼の響」は『霧』に、「ゆづり葉」は『紫羅欄花』におさめられた作品である。
 
河合酔茗 作品 ゆずり葉
子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り実は
新しい菜が出来ると
入り代つてふるい葉が落ちてしまふのです。
 
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って―――。
 
子供たちよ
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
語られるものは絶えません。
 
輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど―――。
 
世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造つてゐます。
 
今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に
気が付いてきます。
 
そしたら子供たちよ。
もう一度譲り葉の木の下に立つて
譲り葉を見る時が来るでせう。

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