常陸宮家
常陸宮家は昭和天皇の第二皇子・正仁親王(一九三五~)が独立し、創始した宮家である。正仁親王は昭和十年(一九三五)十一月二十八日に出生。母は香淳皇后である。幼称を義宮ヨシノミヤという。学習院大学理学部化学科を卒業後、東京大学理学部動物学教室の研究員となった。現在も財団法人癌研究所の客員研究員として魚類の癌の研究にとり組んでいる。また、国際親善やスポーツなどの各種団体の総裁、名誉総裁などに就任している。
昭和三十九年九月三十日、旧伯爵家(陸奥弘前藩主)の津軽義孝(徳川義恕次男)四女・華子と御成婚。侍従次長、侍従長をつとめた徳川義寛、女官長をつとめた北白川宮祥子サチコ妃は華子妃の父の兄姉に当たる。華子妃は学習院女子短期大学英文科を卒業。昭和末年、香淳皇后が腰を痛めてからは、昭和天皇の大喪タイソウの礼などで名代となるなど、華子妃は女性皇族として重責をつとめている。なお、華子妃には童話の著作がある。