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曲淵勝左衛門由緒書   半日閑話(大田覃)

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曲淵勝左衛門由緒書   半日閑話(大田覃)

○高祖父勝左衛門吉景、武田信虎より勝頼迄奉公仕、甲州武川と申す谷へ住居す。天正十年勝頼生害後、先方侍扶助信長停止に候共、神君武川之者共一同に御扶助被下、忍て遠州相良辺に罷座候處、同年六月信長生害有之、甲州之国主無之、北条家より種々計策有候得共、武川之 共同心不仕、神君御進発に依て馳参、新府中御着陣之刻一同に被召出候。御出馬以前信州境小沼之小屋迄落し走廻仕候。

○北条御対陣の時、若神子口にて敵を物見可仕旨被 仰出 、
吉景並び彦助差物にて相圖仕、物見首尾能甚預 御感 より、武辺之模様無比類、彦助父に不劣との蒙上意候。

○曾父勝左衛門正吉(始め名彦助)、父一同ニ被召出、甲州御発向之節、諏訪安芸守籠城に付、大久保七郎右衛門、柴田七九郎、武川者ども為案内被差向、即時に城際に取詰候時、安芸守使を出し、城内掃除致し明度可申旨に付、両将人数引上可申様之時正吉申候は、場所難所え城より喰留候事可有之申候得ども、武川衆を可存候哉、殊に小敵何事かあらんかと村々に引取候、案の如く城兵突出急に喰留候。武川の者取っ返し、城下音骨と申す處にて、何も敵を討取、城兵を追込、惣勢も備直し申候。

○天正十三年真田安房守御敵に成候節、武川の面々不レ残高名仕、一紙に御証文被レ下候。此御証文は曲淵一類折井市郎兵衛所持仕候。
 関東御入国の刻、吉景相州中村筋にて千五百拝領仕、吉景死後正吉跡式相繼可レ仕處、某事少々知行候得ども、武辺走廻に付格別に被 下置 、萬貫文にも難レ替候父の武功に弟三人え分知奉レ願候處、願之通三人の弟え分知被 成下 、候。
正吉武州鉢形にて百五十石被レ下、関ヶ原之節走廻候仕、慶長九辰年三月御加増八十石被 下置 、都合貳百参拾石拝領仕候。大坂両御陣寄合並にて御供仕候。
昨日六日敵少々引出刻、父子別て被 入精 之旨令 祝着 候。 彌此節走廻候専一に候。速に聞及に無 相違 候。
 高々才覚尤候。恐々謹言。
   八月七日   御諱御判 
 曲淵勝左衛門殿

右之外本多彌八郎山本帯刀連盟状壹通、成瀬彦右衛門書状壹 通略レ之。
曲淵市兵衛 入戸野又兵衛
神君武川の者共一紙に御証文被レ下、御納戸折井市郎兵衛所持仕書上可レ申候。(『萬世家譜』)

  曲淵甲斐守   一話一言(大田南畝) 

 藤枝外記一件(略)
 右於評定所久松筑前守、曲淵甲斐守、伊藤伊予守立会
 筑前守申渡之。 

 惣領御番入書付   半日閑話(大田覃)   

 安永五年十二月十九日
町奉行 曲淵勝次郎 甲斐守惣領

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