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江戸名所記松平甲斐守、六義園(駒込別墅(べっしょ)の記

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江戸名所記松平甲斐守、六義園(駒込別墅(べっしょ)の記
松平甲斐守(保泰大和郡山城主)下屋敷駒込にあり。
(大和郡山藩第4代藩主。郡山藩柳沢家5代。3代藩主柳沢保光の次男。)
 
小名を殿中という。相伝う、元禄の頃御成(将軍綱吉が家屋敷に訪れる)度々ありて此屋敷の前の民家は諸役人の詰め場となりしかば、殿中の文字いかがなりとて殿中と書改めたるとなん。屋敷五萬坪余ありという。通用門を入り右の方に長屋あり、庭の入口に門あり、「六義園」という。学は黄檗悦峰の書、此門は常に閉じて入る事許さず、左の方の路次より入る。門の内に「遊藝門」と刻める小碑あり。向に稲荷の社あり。左に折れ右に馬身あり「千里塚」とする。この馬場は昔は百間余ありしという。今は六七十間ばかりあり。左に折れ右の山に「久護山」と額をかけたる堂あり。公辨法親王の御筆なり。堂は南向にして毘抄門の像在安置する。この下に椎の木の大木あり。西に向い少し行くと右の方に椎の木の大木あり、西に向い少し行て、右の方に萩あまた植えたる所を「晒錨畦」と云う。左の方池の岸に、山吹多く植えたる所を「駒籠の岸」という。池は今は空堀のごとく水涸れども、昔仙川上水のかゝりし跡宛然と存ぜり。左に「下つるみち」と云う徑(小路)あり。直に行き右に「田舎家」と称していかさまにも農家の模様なる家をつくる。畳もねこた(ねこざ)といふものを用い、囲炉裏には自在鍵というものを掛けたり。この垣根の外に藤里剡渓の流れあり、田舎家より少し行くと「山陰の橋」あり、土橋にて三間ばかりあり。これをこえて「ささかにの道」という径(こみち)あり。この辺より山に上る「さかみね」という松あり。筆捨てて待つという。右の方に嶺あり。「藤城の峠」という。この辺は平らで南に向えば園の池悉く見える。絶景なり。晴たる日には富士山・筑波山ともに見えるとなり。筑波のかたは梅有れば林の梢切って眺望を能くする。木で作った燈籠あり。永代常夜燈、安永七年(1780)五月吉日、御師幸福出雲守、甲府領主と題して、十四名を鐫(ほ)る。傍らに松あり。梢より幹まで一条の筋ごとくに裂けたり。これは前年雷が落ちて、かくのごとくとなり。「筆捨山」の麓に「千歳の坂」あり。少し行くと藤一株あり、白藤なりという。「布引の松」「桜波石」あり、この石には桜花のような痕があり、このような名がついた。土橋あり、「鴨の橋」と云う。左の方に楓の樹があり、枝垂れて池を覆う。橋を渡り「浪花石」という石あり。「吹上げの松」「雲霞梅」「吹上小野」「吹上の浜」「霞まぬ松」「万代の岡」等あり。この先に「三日月の松」その下に「座禅石」といって平らな石がある。「三日月の松」というのは、その枝曲り、自ら他の枝と連なり、その名がついた。少し行くと一つの池がある。「水香江」となづく。むかしは蓮が多く有りそのためにこの名前が付いた。是までは南に向って行く。この所よりまた西の方に向う。「すゝの下道」という。この先は紅葉が多い。左の方の山を「梅の花国」という。昔は桜なども多かったが、今は楓のみが多い。御亭の跡あり、「吟花亭跡」という。今はその地は平らなり。西の方の山を「かけ雲の峰」という。また西の方の林の中に朴(ほお)大木あり。左の方に「衣手の岡」あり、また同じ方に松に藤が架かっている、山のように見える。少し行くと「尋芳徑」「楢の樹」「光古石」あり。「千鳥の橋」は紀の川に架かる。板橋にて八橋のように造り長さ七間ばかり、右の方の小高い岡に四畳半の茶室あり。紀の川には今は水がないが、その源と思しき所はあやしき巌重なっている。「水噴石」「枕池洞」「旭の巌」「お玉のなぎさ」などあり。紀の川の傍らに「蓬莱島」あり、亀の形に似ている。「亀浮橋」という橋がある。五尺ばかりの橋を渡す。常は竹の簀(すのこ)をもって覆ってある。裏のかたをみれば如何様に白い。これより行けば南の方に「白鳥の関」がある。少し山を上れば「龍華庵」といえる禅坊あり、市ヶ谷月桂寺の僧が住持してこれを護る。向って右の方に常憲院殿(徳川綱吉)御霊社ありと云う。これは常に閉鎖され入る事は出来ない。東の方に行けば松原あり、殊に広い。御殿跡あり、「名隠松」「心種の松」「いもり松」あり。
妹が松というのは、後に云う妹背山の背の松に対して名付けた。また「詞源石」「見岩」「詞林松」「玉藻の磯」「古風松」あり。「見岩」とはこの石の上より見れば妹背山ことによく見える由なり。「御殿山」は南向きにて六義館と云われている。「出汐の港」「たつの橋」あり。これより妹背山に行く。「たつの橋」は板橋にて長さ四間ある。これを越せば「れい松」あり。妹背山の二つの石あり。「ときはかきは」と名付ける。また山の麓に「浮寶石」という立石あり。高さ八九ばかり。また「とうは石」あり、そのかたち虎に似たり。詠和歌石、人丸の烏帽子に似ているのでこの名になったと云う。「玉笹」「片男波」「背の松」「臥龍石」「起川」「涼風」「裾野の梅」「紀の川」「妹瀬川」「ありもとの橋」を越え、「こととふの松」「蘆田」あり。「蘆辺の亭の舊跡」、この後ろの肩に橡の大木あり、二圍(かかえ)あり。三輪明神鳥居あり、御神体は和州三輪にならいて山をもってす。「あら玉の松」とて山に四株あり、名もふる山、「かねことの道」あり、碑あり。
六義園八景、若浦春曙、筑波陰霧、吟花夕照、東叡駒鐘、軒端山月、蘆速水禽、鮎川涼風、士峰晴雪、と題し、裏に新修六義園郡山大多和克孝識。土浦關克明書とあり。鐫(のみ)工等の名もあるけれども省く。これよりはじめの道に帰らんとするに、右の方を「はこやの山」という。ついにさきの遊藝門のうちに出る。
〔参考『江戸名園記』〕

六義園八景
 「若浦春曙」 中書令邦永
和歌の浦の松のみどりも色そへて霞ぞあかぬ春の明仄
 「軒端山月」 八座親衛実陰
いずるより月もへだてずむかふよの軒ばぞ山のかひは有りける
 「筑波陰霧」 特進重條
つくばねの峯は朝日の影はれてすそはの田井に残る秋霧 
 「蘆辺水禽」 左金吾為綱
 浪たたぬあしべもとめて水鳥のなれもしづけき心とやすむ 
「吟花夕照」 光禄太夫共方
 しばし猶入日のあともくれやらでひかりを残す花そめかれぬ
 「紀川涼風」 黄門輝光
けふも又涼しさあかで紀川や岩こす波にかよふ秋かぜ 
「東叡幽鐘」 光禄太夫光顕
ききわたすあずまの比えの山かぜにたぐふも遠き入相のかね 
「士峯晴雪」 特進実業
峯といふみねゆく雲のうへはれてあふけば高き富士のしら雪

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