『毫の秋』〕
執文朝が愛子失にし嘆き我もおなしかなしみの袂を湿すことや、
往し年九月十日膏祖父素堂亭に一宴を催しける頃、
よめ菜の中に残る菊
といひしは嵐雪か句なり、猶此亡日におなしき思ひをよせて
十日の菊よめ菜もとらす哀哉
かくて仏前に焼香するの序秋月素堂が位牌を拝す、百庵もとより素堂か一族にして俳道に志厚し、我又俳にうとけれは祖父が名廃れなむ事を惜しみ、此名を以て百庵に贈らむ思ふに、そかゝるうきか中にも道をよみするの風流みのかさの晴間なく、たゝちにうけかひぬよつて、素堂世に用る所の押印を添て、享保乙卯の秋(二十年・一七三五)九月十一日に素堂の名を己百庵にあたへぬ
山口素安
万葉集
くるしくも降来る雨かみわが崎
さのゝわたりに家もあらなく
是をとりて京極黄門定家卿、
駒とめて袖うち払ふ影もなし
さのゝわたりの雪の夕ぐれ
評に云ふ、万葉の歌はその場にいたりてよめる。定家卿の詠は想像でよめる題詠也。
予
さのゝわたり降来る雪か白妙の
袖こそはらへ冬の夕暮
浅草不二山人 百庵道阿八十五 翁
来雪といふ事の出所に詠レ之而己与レ之於二佐々木氏一云レ爾