《桜の樹の下には屍体が埋まっている!》
『桜の文学史』 小川和祐氏著 朝日文庫 1991刊 一部加筆
この梶井基次郎の一行ほど昭和文学を震撼させた言葉は見当たらない。屍体を抱いたさ
くらの根が、その腐蝕した屍体の薬液を吸い上げ、それがあの美しい花を咲かせるというイメージは、さくらの美を描いて衝撃的だった。
人は花盛りの桜樹の下に立って梢を見上げる。空は花に隠されて見えない。群がり咲いている花を眺めているとき、人は不意にこの梶井基次郎の一行に襲われる。そして、一種名状しがたい戦懐を覚えるのだが、それはソメイヨシノというこの里桜の属性によるものだろう。
梶井が見たであろう桜はいまも伊豆の天城の麓、湯ケ島温泉の世古峡の高い断崖の上に残っている。このさくらの真向かいが、梶井が一年ほど療養生活を送った湯川屋である。昭和二年四月、彼は湯川屋三階の六畳の部屋からこのさくらと対していた。そのさくらの背後は暗い杉の植林である。常緑樹の暗い緑を背景に花は峡谷の光を浴びて咲き誇る。
この世古峡にいまも残るさくらは、それはまぎれもなくソメイヨシノだった。梶井が見たおりは樹齢十数年の若いさくらだったのではないか。樹勢の最も盛んなころである。しかし、《桜の樹の下には……》の一行は鬱蒼たる老樹こそふさわしい。樹齢がなかば尽きながら、それでも生命力を示すような新しい数本の若い梢を芽吹かせた老桜を幻想させる。闇の中にほの白く浮かんで人の心に妖しい夢を呼び覚ますためには、ソメイヨシノの老樹でなくてはならない。それは自生種のヒガンザクラ(彼岸桜)やミネザクラ(嶺桜)のような小型の花つきの少ない山桜には風情はあっても、ソメイヨシノのような繚乱たる姿に遠い。死の幻想と戦懐を呼び覚ますにはこれらの山桜は清楚すぎた。
さくらが死の花であるためにはどんな豪奢な里桜でも似合わない。《桜の樹の下にはの一行はソメイヨシノの出現によって初めて書かれ得ることばだった。