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木食上人 肖像・略歴

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木食上人

木食名は応其高野山興山寺の開祖なり、近江佐々木氏の産身の長六尺餘紳機淵鑑にして儀貌堂々たり、學を好み歌を詠し篤く内教を信欽し、時々桑門に遊ぶ、年二十七
「よしや世にいはねの小松年経とも逢見んもたゝこからしの風」
と詠し塵累を脱して登山、し文珠院勢誉の室に入り受戒する、常に塩穀を断ち木食して精修苦行する、天正三年(1575)豊臣秀吉根本寺を破却せんとする、木食は秀吉に見えて畏服を説き許容せらる、即ち木食を中興の祖と為す、天正十八年(1590)興山寺を創建する、秀吉奏請して勅願寺とする、後陽成帝富山恢興の功を優賞して、上人位に擢補したまふ、文禄二年(1593)また剃髪寺を創し両寺に兼任する、慶長四年(1599)青巌寺(剃髪寺)を文殊院勢誉に附嘱し、自ら興山寺に移る、慶長五年興山寺も亦勢誉に属し、江州飯導寺に隠退し江湖風月を吟し寂嘿を楽しみ老を養ふ、慶長十三年(1608)十月朔日、遮那の秘印を結び、奄然として化す、年七十三、豊太閤(秀吉)其勲蹟を優重し、当時左右に語て曰く、高野山の木食上人と視る事なかれ、木食上人の高野山なりと恩遇の渥き以て知るべし、著す所無言抄あり。
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