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歴史上の人物 京極宰相高次

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京極高次

京極高次、小字冲法師丸、後小兵衛と称す、天正元年(1573)七月織田信長に仕へ、近江の田五千石を賜ふ、高次の妻は浅野長政の女淀君と姉妹たり、因りて豊臣秀吉に親眤せられ、十二年(1584)田二千五百石を加ふ、十三年七月従五位上侍従兼近江守に叙任す、後ち屢田を加増し官位を陞進(しょうしん)し、十二年滋賀郡に轉じ、東邑六万石を食み大津城に治す、慶長元年(1596)従三位參議に叙任す、四年(1599)大阪奉行等徳川家康を謀るの聞あり、高次、家康に請ひて大津城をに徒らしむ、慶長庚子の役大津城を固守し、毛利輝元の兵と戦ひ大熕天主楼を毀つに至り、夫人壽芳氏大に懼れ成を許さんことを請ひて、已まず高次乃ち之に従ひ、城を致して高野に逃る、関原事畢り家康大阪に至るや、遠近輻湊す、而して高次独り往かず、家康命じて之を召す、高次對て曰城守卒へず、何の顔ありて相見るを得んやと、家康并井伊直政を遣し、孤城死守、其義既に烈叉能く、敵敷萬を遏(と)めて関ヶ原に逮はざらしむ其功偉なりと、高次乃ち往く功を以て所領を轉じ、若狭一國九萬五千餘石をと賜ひ、小浜城に住す、若狭守と改称す、慶長十四年(1609)五月三日歿す、年四十七歳。

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