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素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩
素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩 素堂62才 宝永元年(1704)『千句塚』序文。除風編。 素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩素堂62才 宝永二年(1705)『すの字』序文。座神編・支考編。 素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩素堂64才 宝永二年(1705)『誰身の秋』編。 素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩『誰身の秋』編。 素堂序文・跋文・詩文・書簡・漢詩 素堂65才...
View Article江戸上納米の記 文政八年十二月 御廻米御用中日記
江戸上納米の記 文政八年十二月 御廻米御用中日記 《資料文献 小沢文夫氏著(『中央線』 1968 爽涼号 中央線社)》(一部加筆) 江戸上納米の記 文政八年十二月 御廻米御用中日記 蒲原浜 壱番 出役名主...
View Article甲斐路の経路について
甲斐路の経路について 東海道をはじめ、支線(支路)は輸送のための時間短縮、経費の節約を計るため、駅路はできる限り直線的につくられている。 したがって東海道の横走駅(御殿場)より、甲斐国府を結ぶ甲斐路も、支障のない限りその計画にそって開かれたことが考えられる。 勿論その間においても、縄文・弥生時代につくられた生活の道も利用しうるものは利用し、駅の条件に適した場所が選ばれたことは当然である。...
View Article甲斐古代の道
甲斐古代の道私は歴史に愛着を覚えてからもっとも興味があったのは甲斐の古道のことである。すでに定説らしきものがあり諸本に引用紹介されている。しかしその定説は資料に基づいたものではなく、歴史資料の書き間違いを根拠にしてさらに当時の地理的条件や天然現象さえ無視されている感さえする定説である。...
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