甲斐駒ヶ岳の景勝地
山梨県技師 中島英治氏著(『史蹟名勝天然記念物』昭和12年 一部加筆
駒ヶ岳の風景は山そのものの威容と登山により森林美眺望の変化とその渓谷美とである。曾て大町桂月は曰く
「富士山は正大なり正大の点に於いて世界無比なり、もし魁偉の山を甲州に求むればまず駒ヶ岳なり、駒ヶ岳は魁偉の点に於いて甲州に冠たるのみならず、天下に其比稀なり、高さ一萬尺に近くして二千尺の地盤より直に崛起す」
云々と駒ヶ岳を推賞して居る。
又東京日々新聞大阪毎日新聞主催の日本新八景の投票に於いて百景の一に加はったものである。
日本南アルプスいえば赤石山脈・白峰山脈・甲斐駒山脈である。駒ヶ岳はその甲斐駒山脈の主峰であり盟主である。木曾駒ヶ岳に対して甲斐駒ヶ岳又は東
駒ヶ岳とも云はれて居る。白峰山脈と鳳凰山その支脈の分岐点に立って居る。
甲府盆地より偉容を表わし八ヶ岳と相対峙している。中央線を通過するときは韮崎・穴山・日野春・長坂・小淵沢駅に於いては、親しく車窓に高聳し終始して登山探勝慾をそそる。
駒ヶ岳は一名白崩(しらくずれ)山とも云い甲斐と信濃の両國に跨り花崗岩の山である。西北は剱岳に連なり尾根は二つに分れて一つは北沢峠から仙丈岳に叉仙水峠から浅夜(あさよ)峰鳳凰山に連亙して居る。頂上は涯々たる花崗岩の間に偃松があり、高山植物の多き二百数十種あり、中腹以下は森林をなして居る。
此山は古来より信仰の山として名高いもので、「頂上には駒ヶ岳神社」の小祠あり、「前峰に中宮」黒戸山に「岩戸大神前宮」は菅原村竹宇及駒城村横手にあり、祭神は大巳貴命を祀り文政年間信濃國人弘幡なる人頂上に至る通路を開きしと云う、信仰者今に多く其敬崇者の登山と共に探勝登山また南アルプスの要衝の地なるため、その礼賛者の憧憬措く能はざる處である。
登山道
登山道としては菅原村に於いては竹宇、前宮口、前沢口、新道として尾白川渓谷、駒城村においては樅手前宮口、新道とし大武川渓谷、また鳳来村にあっては鳥原より濁川(現神宮川)渓谷を拓かんと努力し、又釜無川を遡るため努力しつゝあり、その他は信州戸臺より登る道である。
登山道と風景
中央線日野春駅に下車それより徒歩下日野を経て富士見三景の一なる花水坂を越え、釜無川を渡って菅原村台ケ原に達し、(台ケ原には登山案内統合事務所がある)竹宇駒ヶ岳神社より登山道につく。或は日野春駅から釜無川を渡り、信州往還を横切って大武川に沿って柳澤に至る(柳澤にも登山案内組合事務所がある)原の部落を経て、横手の駒ヶ岳神社より登山道につき、笹の手にて臺ケ原の登山道と合す。また韮崎駅(白鳳会登山案内事務所あり)下車これより台ケ原行乗合自動車を利用して柳澤又は台ケ原に下車、前記の行路を取る事を得(其外中央線長坂駅、小淵沢駅より台ケ原又は柳澤に至る事を得)。
笹の平より針葉樹林になり、前屏風の頭それより黒戸山(2254米突)の北側黒木立密林より屏風岩の鞍部へ下る、最低鞍部ご中段に二軒の宿泊所がある。屏風岩の断崖は梯子や金の鎖がある。山稜は嶮岨である。石尊尾根の第二の梯子を渡りこの附近で北アルプスの連峰が見え、七丈小屋に着く、この附近には高山植物があり、サウシカンバがある。それから灌木帯に入り八丈御来光場に出る。この附近には偃松がある。
甲府盆地がよく見える地獄谷の中腹へ入って摩利支天への道もある。危嶮なる處である。八丈より頂上に至る。頂上より鋸山へ出る道もある。北アルプス、中央アルプス、関東山地、御坂山脈は絵巻物の様に見える。新道としての尾白川渓谷は、かつて大町桂月氏は曰く
「新道は尾白川上流に沿う、一渓に四十八瀧をなす瀑布の多さとは天下無類なりと、又駒ヶ岳連峰は瀑布の山なり」と。又、
「是やこの一萬尺の高根より下界にそゝぐ四十八滝」とはその感嘆した歌である。
菅原村竹宇駒ヶ岳前宮登山道と分れて、尾白川を遡るのである。すぐ湿布や奇岩怪石に清流の景色を見る。鼓瀧、旭瀧、葛葉瀧、神社瀧を経て石室に着く。不動瀧は目前にある。(これより笹の平に出る。道ありまた前宮に出る馬道もある)
不動瀧より雁ヶ原に出て前沢に登山道に合する道も近来開かれてある。不動瀧より川を遡れば不二岩、地獄瀧、天狗岩、長渓、瓢箪淵、養老瀧、曲淵、小瀧、中小尾、河原に出で、河に沿いたる道を行けば女夫瀧で右に左の深林内に高山捕物がある。重石礦のある金山澤の分岐点である。右の流に沿って梯子瀧より中腹道にて遠見瀧を眺め、進んで噴水瀧に出る。三斜瀧、大淵対岸に花岩と云う断崖が苔の色をなして居る。獅子岩の奇景左の流れに従い千丈瀧を経て森林帯に入り、屏風岩に出る。旧道は尾根道に合し屏風岩の梯子を昇り、七丈小屋に達す。
前澤口登山道(白州町)
前澤口は前澤より雁ケ河原に至る。雁ケ河原は全花崗岩よりなっていて、風化し石柱高く聳え附近の森林美と共に奇勝をなして居る。それより日向山、鞍掛山、大岩山を経て駒ヶ岳頂上に至るのである。
濁川渓谷(現神宮川)
濁川渓谷は鳳来村鳥原(白州町より小瀧に出て、更に水晶岩、鬼窓前大岩を経て大烏帽子岳より駒ケ岳に至る
ものである。道路改修については地元に於いて努力中であり、なお濁川支流には八間石、寝畳床、夫婦瀧、梯子瀧、大瀧等の諸瀑布がある。又濁川渓谷を雁ケ原と連絡をとる必要も生じて来て、附近の景勝地の連絡探勝することを得る。
大武川渓谷
駒城村横手大坊(白州町)には大藪温泉、駒ヶ岳温泉、三賓温泉等がある。これ等の温泉を足揚となすことを得る。これより奥大坊大武川に出る砂防の大堰道は人工の瀧をなして異彩を放って居る。附近に獅子岩があり、
その名の通りである。一ノ沢・二ノ沢を過ぎて魚止峡に至る、落合瀧も少し危険を冒せば望む事が出来、勘五郎一ノ滝・二ノ瀧・三ノ瀧があり、勘五郎平にある大岩は天然の石室である。勘五郎横手から対岸のスルス岩を眺め磧に出て赤薙(なぎ)瀧を見る。渓谷第一の瀧である。赤薙瀧から廣河原に出る近道もある、赤薙瀧より引返して本流を遡れば下一條の瀧瀧澤となる。ヒョングリの石宝に出てヒョングリの瀧を見て梯子瀧上に表れる、駒ヶ岳の遠望によい。段々針葉樹となる。横手瀧を過ぎ大岩下の摩利支天の眺めもよく、仙水下の原始林の森林美となる。その附近は自然の庭、公園である。駒ケ岳は愈近く、それより尾根に出て、駒ヶ岳頂上に至る等、以上各登山道共森林、渓谷、一瀧、深潭、奇岩、怪石等風景千変萬化の状龍である。
登山期
登山期は毎年六月一日より九月二十日頃迄なれども、昨今は各渓谷の新緑紅葉の探勝と初雪の駒ヶ岳又は冬山を臨みんとする高山礼賛者も著しく増加している。附近の景勝地史蹟天然記念物としては、八ヶ岳山麓熔岩台地と釜無川の清流に峭立(しょうりつ)して延々たる七里岩の奇勝と、菅原村自須及鳳来村の御料林は赤松にして海岸風景を偲ばしむる處にて夏は野営天幕場によく、秋は松茸狩の行楽の地に適する處である。
宗良親王
白須には建武の昔征東将軍宗良親王が遠州伊谷より信濃の保科氏によらんと山伏の姿に変粧し、この松原にやす
み給う。『李花集』に
甲斐國白須と云ふ所の松原のかげにしばしやすらひて
かりそめの 行かひじ(甲斐路)とは 聞きしかど いざや白須にまつ人もなし」
と御心さびしくこの地を過ぎ給う。村人此地に記念碑を建設してその昔を偲ぶ。
景勝地
景勝地としては以上の鳳来村の濁川渓谷、釜無上流渓谷、菅原村尾白川渓谷、駒城村の大武川渓谷について石洞川の精進瀧等にして、菅原村にあっては小学校庭に於いて先史時代遺跡の土器出土し、また馬場美濃守の居城跡、駒城村の中山城、武田時代の烽火址跡、柳澤氏宅址、餓鬼の嗌(のど)等の逍遺跡がある。
天然記念物としては菅原の天皇桜(不詳)、三本桜(不詳)、大杉(自元寺)、大榧(かや)、駒城の関の桜、駒の松(枯れ死)、新富(武川町)の山高の紳代桜、萬休院の老松(舞鶴の松、枯れ死)等がある。