湖南亭字石、本名は奥野三右衛門 一橋陣屋官代官
「須玉若神子 舂米」「須玉東向 汀亀」 入集句
『こぞのなつ』寛政三年(一七九一)小倉稲後一周忌追善集
『須玉町誌』通史編 第一巻 第4章生活と芸術 一部加筆
おしまるヽ花は散り行くぼたん哉 若神子 春米
其国の涼みははなも降るとなん 東向 宮崎汀亀
(山口黒路➡湖南亭宇石➡宮崎汀亀)
湖南亭字石、本名は奥野三右衛門で、一橋御陣屋の代官であった。天明二年(一七八二)韮崎に来て寛政二年(一七九〇)江戸に帰っている。蕉風俳諧を好み、しばしば隣村であった宇津谷村(塩崎村。現・双葉町)の豪農久保寺平右衛門や俳号亀玉亭と俳諧興行を行っていた。また甲府稲中庵二世小倉稲後とも親しく交わっていた。
諂(へつら)わぬ枝から梅の花香哉
予を起すものゝひとつぞ梅の花
青柳恚いふまで日は育ちけり
梅咲くや猫の目ほそき爈のあたり
の句を残している。
湖南亭字石は天野何来編の『寿幾むら集上巻』に独吟歌仙を載せている。「歌仙」は俳諧歌仙の略で、数人で長句と短句を交互に詠んでいく連句の形式で三十六句連ねるものである。この場合は一人で三十六句詠んでいる。
時鳥雲より下の声高し
季語は「時鳥(ほととぎす)」で夏。ほととぎすが雲より下で、高い声で鳴いている。
酒飲む筈の夏の寄合
夏、ほととぎすの鳴き声を聞きながら酒を飲もうとしている。脇句は発句と同季節で詠むことが決まりになっている。
鑓一本長刀ひと手人れかへて
寄合は武士の寄合で、鑓・長刀それぞれ一本入れ替える。第三句は内容を転
じることを本意とする。
骨ふとぐとわるい居住ひ
武士達は骨ふとぶととした恐ろしい男達で、そこにいるのも嫌になる。
汲水をこぼし兼たる月の桶
月に照らされているその家の桶に汲んだ水は溢れそうである。歌仙初折五句目は月の座であるので、月を詠む。
苔も少しの草の華なり
そこに生えている苔は美しく見える。
そり下げの髪おかしげに秋寒き
秋寒く、そり下げの髪格好の男は面白く目立つ。
物がたりよむ恋の関守
そり下げの鬘をした恋心の関守が恋物語を読んでいる。
塗りごめにいとなまめける囲もの
周囲を塗り込められた部屋にいる恋する囲われの女性は、なまめかしく化粧をしている。以下略。(近世546)。
湖南亭字石について小沢柳涯は『甲斐俳人伝』において「俳調未だ古徹を脱せず、佳絶と称する能はざるも一種霊透の気あり」と述べている。宮崎汀亀は湖南亭字石の俳諧によって俳諧の世界に入っていくのである。