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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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山口素堂と内藤風虎(ないとうふうこ)

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素堂と内藤風虎(ないとうふうこ)
生年:元和五年(1619) 
没年:貞享二年(1685)  
年六十七才。
 風虎は寛永十三年(1636)に十八才で従五位下、左京亮に叙任。寛文十年(1670)素堂二十九才のおり、猟虎(内藤頼長・義概)は父忠興の隠居により、五十二才で陸奥国岩城平七万石の城主になる。
俳諧作品の初出は『御点取俳諧俳諧百類集』。北村季吟・西山宗因・維舟らと深い交流が見られる。又和歌や京文化へのあこがれも強かった。
 素堂は通説では致任して市中から不忍池畔の池の端に住居を移し、寛文年間初期から、風の江戸桜田部の「風虎文学サロン」の常連であったと諸研究書に記されてある。風虎の父、忠興は大阪城代を勤めた時期もあるが、文人としての活動は不明である。素堂が風虎の文人交友者を通じて文人の道に入ったことも推察できるが、寛文十年頃は素堂は未だ何れかに勤仕していたのである。素堂が生まれてから寛文七年の初出『伊勢踊』までの歩みは不詳部分が多くあり定かには出来ないが、何れにしても内藤風虎と素堂の関係解明が必要である。風虎の文人としての活動は息子露沾に引き継がれるのである。
風虎の別邸は鎌倉にあり、素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」の句は鎌倉で詠んだものであり、年代から押しても風虎の別邸で詠んだ可能性が高い。
又水間沾徳を内藤家に紹介したと伝える書もある。延宝五年の風虎主催の『六百番俳諧発句合』に素堂も参加してその中の句「茶の花や利休の目には吉野山」は、長年にわたり諸俳書に紹介されている。

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