陽軍艦 須磨寺の桜 南畝莠言(大田南畝)
(前略)須磨寺に若木の桜制札とて紙に書しものあり。われは此制札の文を疑ふ事久し。(中略)因に云、甲陽軍艦〔第四十品〕関東上杉管領の制札に、此桜花一枝も折取候はゞ、あたり八間流罪死罪にん仰付らるべき者也。仍如レ件。とたてられたるなり。扨又、信玄公、甲府穴山小路眞立寺と申し法花寺に、紅梅の甲斐一国の事は申に及ばず、近国にもさのみ多なし。さるにつき右の眞立寺より花の制札を申請につき、則禁制の札に、此花一枝一葉たりといふともたおりとる輩これあるにおいて、げんかうかうようの例にまかせ申付べき者也。云々
(前略)須磨寺に若木の桜制札とて紙に書しものあり。われは此制札の文を疑ふ事久し。(中略)因に云、甲陽軍艦〔第四十品〕関東上杉管領の制札に、此桜花一枝も折取候はゞ、あたり八間流罪死罪にん仰付らるべき者也。仍如レ件。とたてられたるなり。扨又、信玄公、甲府穴山小路眞立寺と申し法花寺に、紅梅の甲斐一国の事は申に及ばず、近国にもさのみ多なし。さるにつき右の眞立寺より花の制札を申請につき、則禁制の札に、此花一枝一葉たりといふともたおりとる輩これあるにおいて、げんかうかうようの例にまかせ申付べき者也。云々