六義園の寄附と其の指定保存
岩崎男国家の所有に係る本郷駒込の舊柳澤甲斐守下屋敷庭園六義園を今回東京市に寄附せられた。岩崎家は大正大震災後探川清澄園を市に寄附し、更に自治制発布五十周年記念祝典を機会として上記庭園を寄附せられれ、この二大名園が永く東京市に依つて保存せられるに至ったことは、誠に邦家の爲め慶祀の至りに耐えない。特に六義園は東京所在の現存江戸時代庭園としては真に東京市に管理を指定せられた小石川後
楽園、舊芝離宮、此程破壊せられた向柳原蓬莱園と共に五指を屈すべき名園で、その地域の広いことに於ては後楽園と対象すべきであると同時に、明朗典雅にしてあまりに技巧を弄せず自然昧の多い点等特殊な風趣を有するものとして著しい。叉本庭園は元禄中二代の才人柳沢甲斐守の築造に係り、将軍綱吉が屡次来遊したと云ふ歴史を有し、常時の建造物さへ保存されてゐるのみならず、維新後岩崎家で建てられた典雅な亭樹等も少からず、之が東京市の所有に帰し、一定の整備を了へて一般に公開せられるに至つたならば、舊芝離宮、後楽園、清澄園と共に市民の教養並趣味心の向上の上
に偉大なる貢献を魚すことゝ信ずる。
岩崎男爵が今回その所有名園を断乎として東京市に寄附されたのみならず附属の貸店舗千川上水々利権等まで附随寄附せられたことは、賓に天下の芙蓉である。又如此名園を快よく引受けて特殊公園として保存せんとする東京市常局殊に其の衝に嘗つた井下公園課長に封して、敬意を表する次第である。
此際文部当局は六義に封して多年の懸案であつた保存法に依る指定を断行して、永く本名園の保存の途を樹立し、寄附者の意志を不朽に伝え東京市の保存管理にもー層の利便を輿へるやうに、速かにその手続きを取られたいことである。
多年本名園の永久保存問題に関し窃かに通慮して居た本會としては、この快報に接し急に重荷を下ろし声やうな感がする。
岩崎男国家の所有に係る本郷駒込の舊柳澤甲斐守下屋敷庭園六義園を今回東京市に寄附せられた。岩崎家は大正大震災後探川清澄園を市に寄附し、更に自治制発布五十周年記念祝典を機会として上記庭園を寄附せられれ、この二大名園が永く東京市に依つて保存せられるに至ったことは、誠に邦家の爲め慶祀の至りに耐えない。特に六義園は東京所在の現存江戸時代庭園としては真に東京市に管理を指定せられた小石川後
楽園、舊芝離宮、此程破壊せられた向柳原蓬莱園と共に五指を屈すべき名園で、その地域の広いことに於ては後楽園と対象すべきであると同時に、明朗典雅にしてあまりに技巧を弄せず自然昧の多い点等特殊な風趣を有するものとして著しい。叉本庭園は元禄中二代の才人柳沢甲斐守の築造に係り、将軍綱吉が屡次来遊したと云ふ歴史を有し、常時の建造物さへ保存されてゐるのみならず、維新後岩崎家で建てられた典雅な亭樹等も少からず、之が東京市の所有に帰し、一定の整備を了へて一般に公開せられるに至つたならば、舊芝離宮、後楽園、清澄園と共に市民の教養並趣味心の向上の上
に偉大なる貢献を魚すことゝ信ずる。
岩崎男爵が今回その所有名園を断乎として東京市に寄附されたのみならず附属の貸店舗千川上水々利権等まで附随寄附せられたことは、賓に天下の芙蓉である。又如此名園を快よく引受けて特殊公園として保存せんとする東京市常局殊に其の衝に嘗つた井下公園課長に封して、敬意を表する次第である。
此際文部当局は六義に封して多年の懸案であつた保存法に依る指定を断行して、永く本名園の保存の途を樹立し、寄附者の意志を不朽に伝え東京市の保存管理にもー層の利便を輿へるやうに、速かにその手続きを取られたいことである。
多年本名園の永久保存問題に関し窃かに通慮して居た本會としては、この快報に接し急に重荷を下ろし声やうな感がする。