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Channel: 北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
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富士山噴火 宝永四年

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富士山噴火 宝永四年
『塩尻』所収記事 
 
宝永亥十一月廿三日
辰の時より駿州富士山の年俸(足高山の肩須走口)おひただしく燃上り黒煙天を覆ひて日の光も見えす、鳴吸音は迅雷にひとし山岳が為に震ひ磐石砕け飛て数千里に散る事雨よりも激しく、その灰空に満て雲霧の如く、すそ野辺近き里々はさながら石にうたれ火に焼かれて跡なきも多かるとや、駿相の諸州焼砂を降して積る事四五寸計りなりしといふ、行人暗に迷ひ征馬響に驚き間々疵を蒙りし類も少なからず、行先を分たずして民家に入れば、富士の焼けるとは聯も知らで、只今天地打反し海上津波来るかと立騒ぎのさしり、山にのかの岡に走る故に立よるゝべき便りもなかりしとそ、武城(江戸)も同じ日未の刻より空冥々として地響き蔀やり戸しきりに動き鳴りて人々安き心もなかりしに、やゝ暮れかゝるほど薄黒き砂雪のごとく降しかば、希有の変異ハなりとて騒き侍りし、亦申の時より家々燈を張て慌てふためき侍りし、夜に入て鳴動同じまゝに降下る砂は真黒にして金剛砂の如し。
廿四日五日
同じ様にて折々は暗けるに、漸々士峯の焼灰と聞定めてぞ、人々少し落つきける、有司も命を奉て見分の事有し(御奉行目付三人、御小人目付六人)それより日々に灰下りしかば、木も草も分かたず、屋根も庭もー色に積りて風吹けば一度に立あかりて、満天明け暮れの様になる事も毎々なりしと聞きぬ。

延暦の火山
それ富士山燃しは桓武天皇の延暦十九年庚辰三月十四日より燃え出し、昼は烟暗く立上り、夜は炎光天を照らし、其聲雷の如く、灰の下る事雨のごとく、山河皆紅なりしよし舊史に見え侍る、是は山覿より焼け、初大なる谷となり、四月の末に止り侍りしとなん。
貞観の火山
亦其後清和天皇貞観六年五月大にやけて、人を飛ばし民家を破りけるとそ、 それよりは火気もなく侍る故にや、古今集序に「今は富士の山も煙たゝずなりし」といへり。
 
延暦の火山~寛永
延暦十九年よりことし寛永四年迄九百八年にや成侍るらん、其中間元弘元年七月大地震にて崩れるとかや、
信濃の浅間は常にも煙はべれは人は怪しともせず、西国にては阿蘇温泉なと亦時々焼侍る、北国は白山そ中世焼侍りて(天正十六年三月、同廿三年五月)今も所々煙ありとかや、十二月の初相州佐川へ人の首、亦は手足など多く流れ来るも、富士の山下の村々石に打たれ、形砕けてかゝる物も流れ出けるにやと旅人もうたて驚く。
千年に近き迄見さりし富士の煙を今度そ世に見侍りしかとも、凄まじさに和歌の種とならすや侍るらん、当国へも煙見え侍るといふ間、或あした田面に出て見侍りしに、人の言うに違はず、三州猿投山の少し南の肩にあたり、夏日立て雲如くいと黒く凄まじき様に見え侍る、其後もよりより見侍りしか同じ様に立かさね侍る(十二月四日迄稀に見え侍る)夜は懐中に閃電の如く火見え
侍る、十二月八日頃より烟薄く十日の大雪にて十一日より焼止と云々。

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