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石橋湛山の生涯(1884~1793)

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石橋湛山の生涯(18841793

「交友会雑誌に見る若き日の石橋湛山」浅川保氏著 一部加筆
『甲斐路』季刊№59 昭和41年 山梨県郷土研究会 
 

<湛山年譜>

一八八四(明一七)
東京にて出生、父杉田湛醤、母きん、幼名省三
一八八五(明一八)一歳
 父が昌福寺住職となるに伴い、甲府市に転居
一八八九(明二二)五歳
 甲府荷稲門尋常小学校に入学
一八九一(明二四)七歳
 昌福寺の父に引き取られ増穂村尋常高等小学校に転校
一八九四(明二七)十歳
 長遠寺住職望月日謙に預けられ鏡中条尋常高等小学校に転校
一八九八(明二八)十一歳 
山梨県立尋常中学校(現甲肘二高)に入学
一九〇一(明三四)
山梨県立尋常中学校の校長弊原坦から大島正健に
一九〇二(明三五)一八歳
 得度して湛山と改名、山梨県立第一中学校を卒業
一九〇三(明三六)一九歳
 早大高等予科入学、翌年早大文学科に進む
一九〇七(明四〇)二三歳
 文学科を首席で卒業、宗教研究科に進む
一九〇八(明四一)二四歳
 宗教研究科を修了、東京毎日新聞社に入社
一九一一(明四四)二七歳
東洋経済新報社に入社、「東洋時論」の編集に携わる 
一九一二(大正一)二八歳
 「東洋時論」の廃刊に伴い、「東洋経済新報」記者となる
 三浦鉄太郎夫妻の媒酌で岩井うめと結婚
一九一四(大 三)三〇歳
自由思想講浜会設立に参画、幹事に就任
一九一七(大 六)三三歳 
早大騒動おこり天野為之学長側の中心として奔走
一九一九(大 八)三五歳
 普通選挙期成同盟会結成に参画
一九二一(大一〇)三七歳
 末洋経済新報社の取締役に就任
一九二四(大一三)四〇歳
 三浦鋲太郎のあとをうけ、東洋経済新報社主幹に就任
一九二五(大一四)四一歳
 東洋経済新報社代表取締役・専務取締役に就任
一九三一(昭和六)四七歳
 経済倶楽部創立総会で常任委員に就任
一九三四(昭 九)五〇歳
 月刊英文雑誌「オリエンタル・エコノミスト」を創刊、主幹となる
一九四〇(昭一五)五六歳
 東洋経済研究所を設立し所長を兼務
一九四五(昭二〇)六一歳
 戦後通貨対策委員会委員に就任
一九四六(昭二二)六二歳
 第一次吉田茂内閣の大蔵大臣に就任
一九五二(昭二七)六八歳
立正大学学長に就任
一九五四(昭二九)七〇歳
第一次鳩山一郎内閣の通産大臣に就任
一九五六(昭三一)七二歳
 第三回自民党大会の総裁選で給裁に選任さる
 石橋湛山内閣成立し、経理大臣に就任
一九五七(昭三二)七三歳
 老人性急性肺炎で倒れ、総理大臣を辞任
一九五九(昭三四)七五歳
 中国を訪問(石橋・周共同声明)
一九六一(昭三六)七七歳 
日中米ソ平和同盟案を発表し、各界人士に呼びかける
一九七二(昭四七)八八歳 
「石橋湛山全集」全一五巻刊行完結
一九七三(昭四八)  
 死去、享年 八八歳

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