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南アルプスエコパーク 資料 南アルプスの山々

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南アルプスエコパーク 資料 南アルプスの山々
『北巨摩郡誌』第十三編 史蹟・名勝・天然物 一部加筆

 駒ヶ岳附 鋸岳、浅夜岳
牝瓦摩郡及長野鄙上伊那郡に跨る。『甲斐国志』には横手、台ケ原、白須諸村の西に在り、樵蘇する者山租若干を貢する。山上を甲信の界とす、大武川に沿って南の方山中に入ること若干里にして石室ニケ所あり、下を「勘五郎の石小屋」と呼び、上を「二條の石小屋」と呼ぶ。此れより上は絶壁数十丈にして攀授すべから、樵夫の山伐の者と雖も至らざる所なり。遠く望めば山頂巌窟の中に駒形権現を安置せる所あり、尾白川は山上より発し瀑布となり懸崖を下り級を拾ひ潭となる。是を千箇淵と名づく奇勝殊絶なり。釜無川、大武川、皆此山に発源する。又荻生徂徠の『峡中紀行』に、山之不毛者三成、似焦石畳起者、厳稜角歴々可数、形勢獰然、不似前此芙蓉峰笑容相迓者、相傳豊聰王所蓄駒、飲是渓而生、山上莫有祠宇、山□木客、往々而逢、以故土人不敢登、昔有一人、戇而勇、齎齎三月糧、以躡絶頂、有一老翁、相責曰、此上仙福地、非若曹所渉處、捽其髪、放厳下、則恍然巳在己家屋山後矣、云々と其の嶮峻想ふ可しである。其の標高駒ヶ岳は二、九六六米(九千七百八十七尺余)鋸岳二、六〇七米、浅夜岳二、七九九米、鞍掛山二、〇四七米、大岩山二、三一九米泉、烏帽子岳二、五九三米で、その地質は駒ケ岳は花崗岩其他は秩父成層である。
登山口
 登山口の日野春駅よりするものは、猿帰坂(野猿)を降り武里村(武川町)牧原より駒城村横手(白州町)の前宮に到る。是れより森林中を登攀すること約二時間にして、路は「竹宇前宮」(駒ヶ岳神社)よりするものと合し、尚一時間半にして「笹の平」に出で黒戸山を越え、屏風岩に出づれば路は愈々峻嶮、鉄鎖に頼り梯を攀じ登って奇岩軽石の間を踏み、七丈小屋に達して宿す。翌日歴々たる厳稜を攀じて山嶺を極め、「摩利支天」を経て帰来する事を通例とする。
 日野春駅より花水坂を下り、台ケ原に出ずるものは、竹宇前宮に到る二時間半にして笹の平に至り、前者と同一の道を取るのである。別に竹宇前宮より尾白川渓谷を溯る道が、菅原村山岳会によって開かれた此の道は飛瀑、激淵、奇巌、哨壁、実に其の奇勝天下に誇るべきものである。鼓瀧、旭瀧、葛葉岩、葛瀧、神蛇瀧、石室、不動瀧、不二岩、地獄瀧、天狗岩、長潭、瓢箪瀧、養老瀧、女夫瀧、梯子瀧、遠見瀧、噴水淵、三斜瀧、花岩、獅子岩、千丈瀧、雪渓等奇勝應接に遑なく、行程の進まざるを憂うのである。屏風岩に出で七丈の小屋に達す。前宮より七時間乃至九時間を要する。
 小淵沢駅よりするものは、鳳来村松原の白砂青松山中の画中の人となり、前澤より竹宇に至る。
 韮崎駅より自動車にて、武里村牧原より横手に出ずる路に依るも可である。
 下山にあたり、赤河原に下り戸臺に出で美和村より高遠に一泊し、翌日伊那より辰野に出るか、或は金沢峠を越えて青柳駅に出ずる道を取ることも出来る。
鋸岳は、跋渉することは能はざる秘峰として知られているが、近年一級の通路が開かれた。之れに登學せんとするならば小淵沢駅より蔦木(長野県富士見町)に出で、鳳来村大武川より釜無川の渓谷を溯り、横岳峠より山稜を鋸岳に走るのである。南に有名の大裂罅がある、必ず案内者を雇はなければならぬ。
 大岩山は、小引渫騨より鳳来村に出で、日向山、鞍掛山を越え大岩山に至る。それより烏帽子岳を経て駒ヶ岳を極め七丈の小屋に泊す。
 浅夜岳は七丈小屋より駒ケ岳を極め、仙水峠へ下り浅夜に登るのである。これに登りたるものは早川尾根に露営するがよい。早川尾根には水ありて露営に適する。翌日同所を出で立ち赤薙澤を下りて駒域村に下る、赤薙繹の道は通行するもの殆んど無く険悪甚だしい。必ず案内を要するのである。
 此等の山々の動植物の重なるものは、雷鳥、コヒオドシ、クモマベニヒカゲ、特に駒岳のハクロバイは奇品である。チングルマ、黒百合の大群落は珍とすべきである。
鳳凰山 地蔵岳 観音岳 薬師岳 
 北巨摩、中巨摩郡(北杜市・甲斐市・韮崎市・南アルプス市)に跨る。甲斐国志に、駒ヶ岳の東南に在って芦倉山の北稍々西に在り、東面を御座石山と称する。西は能呂川を隔てゝ白峰に対する、絶頂に高教丈の巌あり、遠く望めば人の状の如し、州人多くは誤認して是を地蔵ケ岳なりと云うことは非なり。鳳凰山権現の石祠あり、祭日は九月九日なり、神主の小池氏は柳繹村に住む。この山柳沢より西南に当る、是より山里にして一里にして雄山社に至り、また一里にして三本木の石祠に至り、又二里にして精進が滝に至る。此より峻嶺を攀じ登る事一里にして絶頂なり(中略)是より東南方に対峠する山を地蔵ケ岳という。相距ること一里弱、山脊少し低く、其の次を観音岳と云う。其の次を薬師岳と云う。地蔵よりここに至る一里に近し、皆東南に連りたる一脈の山なり云々。
参謀本部の地図
鳳風山を三山の総称とし、前掲の鳳凰山を地蔵として順次其の名稲を異にるする。
本県の統計書
鳳凰山及び地蔵岳は別峰で地域の方鳳凰より高い。此の名稲の錯雑は地方によって呼び方の異なりしより生じたのである。今此の名称を正さんには古地図の判決を待つを至当とする。幸いに柳澤、山高、黒澤の旧三村秘蔵の、寛延二年(1749)山論に関し、甲府代官の裁断を仰ぎたる大きさ六畳の替地踏査を経たる見取図がある。これによれば甲斐国志の説が正しく、参謀本部の地図が誤りで、左の通りである。
 高嶺   2779m
 鳳凰山  2770m
 地蔵岳  2841m
 観音岳  2762m
薬師岳 (乗鞍)(観音岳より低し)
 地質は花崗岩で、この山々の絶頂二里余の間砂白く偃松群生し奇石怪巌崢立し海濱の景色がある。
 登山口の韮崎駅より登る者は、清哲村青木より鷹の田、鳥居峠を越え青木鉱泉を寝所とするが便である。翌日早朝ドンドコ沢を登り、燕岩、南精進瀧、白糸瀧、一ノ木戸、五色瀧などをぎ、北御室に出で、鳳凰山に登り、南へ三山を縦走し、砂払いより小武川の渓に下り、青木鏡泉に泊まり、翌日韮崎に帰るのである。
 日野春駅よりするものは、猿帰坂を降り武里村牧原より新富村黒坂、山高、を過ぎ、鳳凰山前宮より栃平に出で、精進瀧を質し、燕頭山に攀じ登り、北御室に露営するか、若くは賽の河原まで登りて露営し、鳳凰、地蔵、観音、薬師と縦走して青木鉱泉に泊まるか、若くは韮崎駅に出ることもできる。
 鳳凰より高嶺に、更に北走して早川尾根に露営し浅夜岳を越え、仙水峠より駒岳七丈小屋に泊るも亦興味あるコースである。
此の山の動植物は略駒ヶ岳に似たもので、鉱物に銅鉄がある。
 此の山の奇観は、鳳凰山嶺の相擁立せる二大巨石で其の高二百尺、実に北アルプスの槍岳尖峰と共に本邦の二大奇巌である。精進瀧は直下七十丈、鞳々(トウトウ)と洛下する光景仰ぎ見るべからず。納涼の夏、紅楓の秋、海内無双と称せられている。
千丈岳 
中巨摩郡と長野県上伊那郡に跨る。標高小千丈、二、八五〇米、千丈岳、三、〇三〇米(一万八尺余)前千丈二、九三○米、地質は秩父古生層である。
 登山口、日野春よりするものは、駒ヶ岳七丈小屋に宿し仙水峠北澤小屋野営、それより千丈を極め下山して帯び北澤小屋に宿し掃来する。更に横川岳を経て白峰三山を縦達するも妙である。
 韮崎より登山するものは、鳳凰登山の如く北御室に野営し、地蔵岳を越えて野呂川広河原に出て両股に野営し、北繹尾根より千丈を極め下山北澤小屋に宿し、杖突峠を越え芦安村に泊り、韮崎に掃来する事を得る。
更に信州方面戸臺に下り美和村に出るのも可である。
動物には雷鳥、高山蝶の類多し。柄物の豊富なる事曰馬の如し。
タカネマンテマ、クロハナヘウタンボク、タカネシタ、ヒメハナワラビ、チシマヘウタンボク、殊に黒百合、タウヤクリンドウは著しく多く、植物の数約五目種と云う。
山頂に頗範的のカールあり、最も著名である。その展望の雄大なる南に塩見岳、荒川岳の雄姿を望み、東南には白峰三山雄大なる山岳美を遺憾なく発揮し、呼べば應ふる風情あり。東には鳳凰、地蔵の諸峰連亘し、駒ヶ岳、浅夜岳は東北より揖し、西方雲烟模糊の間に西駒を望み、更に御嶽より北アルプスの諸山は烟霞漂渺の間に綿亘するを見、脚下に絢爛崇高の花を躇み、口に満古の雪噛む時、実に登高家の、特権を遺憾なく接待せるを感ずるのである。
白峰三山 
中巨摩郡及静岡県安倍郡に跨る。甲斐国志に曰く、この山本州第一の高山にして西方の地鎮たり。国風に朗詠の甲斐が根是にして白根の夕照は勅許八景の一なり、南北に連りて三峰あり、其の北方に最も高きものを指して専ら白峰と称す。中間嶺を隔てゝ武川筋芦倉村に属せり、奈良田村より絶頂に至る凡そ十里許り、正しく西に当れり、若し其絶頂に攣登せんと欲するものは必ず盛暑の時を以て候とす再宿して應に帰るべし。相伝う山上に日ノ神を祀る、其の像黄金を以て鋳る、長さ七寸許り、容れるに銅室を以てす。高さ二尺二寸、広さ方八寸、其の四隅に鈴を掛く風吹けば声あり、峰下一里半許りに瓢池と云うあり、長さ百五十歩、広さ八十歩許り、云々。
標高
北岳   3192m
間ノ岳  3189m
農島岳  3026m
小太郎山 2725m
 地質はすべて秩父古成岩である。
登山口
日野春駅及韮崎駅り登山するものは、千丈岳登山の如く鳳凰山北御室に宿泊し、地域を越えて広河原に下り大樺池にて野営、北岳より間ノ岳小舎に野営、農鳥岳を越え下山して広河内より奈良田、西山温泉に泊り、あしならし峠(朝香宮殿下命名)山頂の茶屋より増穂柑青柳に出で甲府に至るのである。此のコースを逆に取るも可である。
白峰連峰は、田代川の渓谷其の西の大半を劃し、野呂川、早川、北西東を限り、赤石山脈の主脈と並行して北より南に走る偉大なる山塊で、千丈岳に立っての展望同様実に羽化登仙の感をなす。
動物
千丈岳と同じ、その植物に至つては随所に大群落を見る。而してあらゆる種類を網羅すると云っても過言ではない。殊にタカネマンテマ、ヒメクスユキサウ、ウラジロキンバイ、ミヤマダルマ、チンダルマ、シコタンサウ、タカネキンバイ、ヤマウバノクロガミ、シナノキンバイ等、奇品珍類に満ちている。
七里岩
 七里岩は八ヶ岳の噴出した熔岩を釜無川が浸蝕して為し、七里に亘る峻壁が、諏訪郡下蔦木村の界より東南に延びて韮崎に至る高さ十数丈、其釜無川に対する所は巌骨を露し、上田は平地で田野村落がある。東方は又塩川に洗はれ藤井諸村では片山と云う。除損の簸ける新府も此の奇勝地にある道路の重なるものは、蓬莱村教来石より小淵駅に通ずるもの、台ケ原より清春村を経て長坂駅に至るもの、台ケ原より花水坂を経て日野春駅に至るもの、牧ノ原より猿帰坂を経て日野春駅に至るもの、円野村より穴山駅に至るもの、祖母石村より中田村上野に至るもの、韮崎町より逸見台地に通ずる青坂あり、いずれも嶮しい。「女落とし岩」は七里岩中最も高き巌壁で牧ノ原の東にあり、其の北に烏帽子岩あり、其の下に
方三四間の巌窟あり、道士穴と云う。昔一禅僧、この窟に座禅し其の附近の沢に身を投じて滅を取りしと伝う。礬石洞は穴山村の西の中腹にあり。祖母石(ウバイシ)は其の名の如く祖母石村にあり、高さ一丈余り、周り十二間、其の形老姫の願いを支て座するに似たる奇石である。大士洞は韮崎町即ち此の岩の末端にあわ、別にこれを記載せり。
 

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